【失敗キャンプのすすめ】 週刊失敗キャンプ 33
コラム
『失敗キャンプのすすめ』
週刊失敗キャンプでは、キャンプでの失敗に関する情報を掲載している。
これは何も失敗を笑うためではない。
キャンプにおいては『失敗にこそ意味がある』と考えるからである。
初めてのキャンプで何も失敗しなかった人がいるだろうか?
もし、『自分は失敗していない』と言う人がいるならば、残念ながら、それは失敗に気付いていないだけだ。
それどころか、失敗に気付かないという失敗までしているのに違いない。
まるで、新入社員が、しばらく経って慣れてきて、何とか上手くやれていると勘違いしているのと同じだ。
後から考えれば失敗に気付いていないだけだったと恥ずかしく思う。
要するに、全体像が見えていないのだろう。
キャンプは普段の生活よりも不自由なもののはずである。
そして、不自由な状態をいかに楽しむかがキャンプだと言えるだろう。
キャンプ場に持っていけるギアが制限されている限り、どんなに完璧な準備をしても、必ず「足りない」「不便だ」と思う事があるはずだ。
不便=失敗ではないが、「もっとこうすれば良かった」と思う事はあるはずだ。
例えば
灯りが足りない事を防ぐために、光量のあるLEDランタンを持って行ったとしよう。
明るさは申し分ないかもしれない。
しかし、今度はキャンプの雰囲気が失われてしまったり、明るすぎて周りのサイトまで照らしてしまう事になったりする。
それでは、と、今度はケロシンランタンを準備してみる。
雰囲気は申し分ないが、扱いが面倒に感じてしまうかもしれない。
また、ファミキャンでランタンばかりいじっていると、子供が放って置かれることになる。
これでは失敗だ。
キャンプに完成形などない以上、何をしても何かしらの改善点が見つかるはずなのである。
週刊失敗キャンプでは、それら改善点が見つかる状態を【失敗】と呼び、【失敗キャンプだ】と定義しているのである。
もう、お分かりだと思うが、この考え方をする限り、『失敗のないキャンプは存在しない』のである。
どんなにベテランのキャンパーでも、一つくらいは『次はこうしよう』という改善点があるはずなのだ。
こう言うと、『仕事でも同じで改善が大事だ』と言い出す人がいるかもしれないが、そんな話はしていないし、分かっていないと思う。
そんな人はキャンプじゃなくてずっと仕事をしていればいい。
楽しくなければ同じではない。
そもそも、仕事とキャンプを同じ視点で見ることが理解できない。
それどころか
何を言っているんだと腹が立ってくる・・・。
仕事がキャンプと同じだと言っても許せるが、
キャンプが仕事と同じだというのは許せない。
逆もまた然りとはいかないのだ。
話を戻そう。
週刊失敗キャンプでは、この『改善点を見つける』という事こそがキャンプをキャンプたらしめるポイントであり、キャンプの楽しさだと考えているのだ。
そうだとすれば、キャンプで失敗するという事は、改善点を見つけられている状態の事なのであるから、望ましいのである。
福沢諭吉は、学問のすすめで、『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と書いた。
これは
【人は生まれながらに差はなく平等のはずだ。それでも差が出るのは学問に励んだかどうかである。だからこそ学びなさい。】という意味だと言う。
もしも福沢諭吉がキャンパーだったら
【キャンプでは、必ず失敗するのだから、失敗から学びなさい】という意味で
『天は失敗のないキャンプの前に失敗のないキャンプを造らず
失敗のないキャンプの後に失敗のないキャンプを造らず』
と書いたのではないかと思う。
キャンプではどんどん失敗するべきなのだ。
そして、多くの改善点を見つけることが大切なのだ。
そこにこそキャンプの喜びや楽しさがあり、またキャンプに行きたいと思うのである。
だから・・・・
・・・・
タープを張る時に、できたばかりのカップラーメンの上に落下させてラーメンをオジャンにしてしまったとしても喜ぶべきだ。
電源サイトで設営後にコードが電源まで届かないことに気付いても望ましい状態なのだ。
撤収後に車のバッテリーが上がっていてエンジンがかからなくても何なんだ!
GWにテントじゃ寒くて寝られないからと車中泊になったとしてもいいじゃないか!
キャンプ場近くのスーパーに買い出しに行ったら閉店してたからって
温泉の受付終了時間が過ぎてしまっていたって
箸を忘れて手掴みで食べたって
歯磨き粉を忘れたって
いいんだよ!
そして・・・
みんなももっと失敗してよ!
自分だけ失敗してるなんて嫌なんだよ!
以上
自分を正当化するための
失敗キャンプのすすめでした。
おしまい
※こんな事を言うために、無駄に無料画像まで使ってみました。